私のニックネームは、『勤労・分度・推譲』
を唱えた『二宮尊徳』にあやかったものです。
二宮尊徳(幼名金次郎)といえば、薪を背負いながら本を読んでいる銅像が有名ですが、
『報徳思想』を唱え、本多静六をはじめ、
渋沢栄一、安田善次郎といった、そうそうたる事業家に多大な影響を与えた人物としても知ら
れています。
二宮尊徳は、天明7年(江戸時代後期)に相模国足柄上郡栢山村(現在の神奈川県小田原市)
の農民の子として生まれました。幼くして両親を失った尊徳は、伯父の家にあずけられ、
小学校の銅像にあるように、勤勉に農作業を手伝いながら勉学に励みました。
そして、少しずつお金を貯め、そのお金で田畑を増やし、その田畑を小作人に貸していったのです。
尊徳は既に
勤勉・貯蓄→不動産投資
を実践していたのです。
その後、小田原藩家老・服部家の若党人となり、徹底した収支管理により財政難に苦しむ
服部家の財政復興を成功させました。
それをきっかけに藩主に認められ、藩主・大久保家の分家である宇津家の桜町領(現在の栃木県真岡市)
の復興をまかされました。
宇津家の領土は公称4,000石でしたが、実際には1,000石にも満たないものでした。
そこで、公称4,000石の格式を保つことを止めさせ、実収入にあった支出の限度を定め徹底しました。
また、収穫高が上がり収益が増えたときには、利益を宇津家ではなく農民に還元しました。
その結果、ますます収穫が上がり、桜町領の財政を復興することができたのです。
『報徳思想』の中心は、
『勤労・分度・推譲』だといわれます。
『勤労』とは読んで字の如く、一生懸命働くことです。
『分度』とは、分限とか度合とも呼ばれ、
自分の収入を知り、それに見合った支出の制限を定めることです。
つまり、見栄を捨て、収入に見合った勤倹生活を勧めているのです。
尊徳は「分度」により、服部家と宇津家の財政復興を成功させました。
『推譲』とは、利益を他人や社会に譲る社会還元だと言われ
ています。
尊徳は、利益を農民に還元することで収穫高を上げました。
つまり、利益の再投資を行ったのです。
即ち、報徳思想とは蓄財の法則の第一〜第三法則
のことを言っていたのです。
私にとって金融資産は、人生を充実させ楽しむための手段でしかありません。
人生を持続的に充実させ楽しむためには、金融資産も成長していく必要があります。
このホームページの主題は、『勤倹と貯蓄、それと投資』
により『金融資産』を大きくすることです。
これはまさに、二宮尊徳の唱える『勤労・分度・推譲』
を実践することなのです。